NIGHT MARE

年末から書きかけだった記事

30日だったか、突然SADS時代の「NIGHT MARE」が思い浮かんできて、頭の中でエンドレスループが始まっているうちに、こまけぇさんの実現報告をされていた、ミチカさんの話を思いだして、コメントとか改めて読んでみた。

ミチカさんの「既にある」

私自身も、いろいろな方の体験談や、文章や
こまけぇさんのブログを
かつてそうした気持ちでずっと見ていました
「私にはわからない、私には出来ていない、実践しても、実感や体感が何も伴わない、実践方法が間違っているのではないか、いくら実践しても堂々めぐり…というか、実践って?!何をどのぐらいやれば実践といえるの?!」という思いでした

それこそがエゴさんという私や皆さんの個人意識が見せていた幻想だったと気付き

私の報告内での言葉ですが
「叶った世界があるからこそ反転して見える
エゴが見せている影のようなもの

だと今は思っています

「私も『こういう感じ』でわかりたいな、でも、私はそうなれそうもない、やっぱり達人さんと言われてる人は、もともとが違うんじゃないか」

という場合、『』内の
『こういう感じ』
だけが本当のあなたであり私だったということです

また

「文章の意味としては、頭では『わかる』んだけどな…何年も現実が変わっていない」

という場合、『』内の
『わかる』
だけが本当のあなたであり私だったということです

『』内が意図で、意図=実現です
それが、あなたや私の中に、既にあるものだということだと、私は思っています

さらにいうと

『』内の方が、先にあったんじゃないかと。
だからこそ、こまけぇさんのこのブログに訪れておられて、この度機会があり私の報告記事を見て頂けたり
潜在意識まとめや、様々な発信者の言葉をご覧になっているのではないかと

私は、そう感じています

達人と、達人じゃない人がいるわけではなかったのだということと
わかっている人と、わかっていない人がいるわけではなかったのだと。

「今」生まれている

まず、停滞感を感じるという事、お気持ちがとてもよくわかります、焦りますよね
私も随分悩んだところです
「なんだか数年前から同じところをぐるぐるしている気がする、時間をこのように過ごしていていいんだろうか、いったい何をすればいいのだろう」

現実、現象を見ても「また過去にあった嫌なパターンがきたな…これは私が内面を変える事が出来ていないせいだ いつになったら変われるんだろう?今年もう○○歳になるのに」
って思っていました

このような気持ちを感じている方に私がお伝えしたいのは

私やあなたが実際に「停滞している」という事はありえない、ということです

時間は「今」しかなくて(それは一般的に言われている「だから今を大切にしないといけない」という事ではなく)
こまけぇさんや他の発信をされている方の言葉を借りると
「今」には何も起きていないです

停滞ということは、過去→今→未来があって
過去の記憶とそこから未来への推測を関連付けてそのように感じていらっしゃると思いますが

本当は

スマホの画面を見ているあなたや私が「今」居るだけです
そして
「今」が起点で全てが生まれていると感じています

何年もこの状態で停滞しているな
というあなたが「今」生まれているのだと思います

いや、私の過去は確かにあるし、以前から私はこの事で悩んでいたしメソッドを繰り返しているし、こういう記憶があって私は確かに何年も変化がなくて停滞しているんだからなんとかしないといけない
と思っているあなたが「今」生まれているんです

こまけぇさんの、景色という表現がとても参考になります

自分のことについてや、自分を取り巻いている(ように見える)世界(=自分)を前にして、いろいろな事を思ったり感じたりしながら、スマホの画面を見ているあなたや私がいるだけなんだと思います(景色)

自分を疑う

「もしかしたら
この構図が逆だったのでは?

「ある」「叶っている」方が先にあって、そちらの方が真実なのでは?

不足だらけの世界は
叶った世界があるからこそ反転して見える
エゴが見せている影のようなもの」

ここについてもう少し書いてみたいと思います

↑の表現自体は、こういった潜在意識系の発信で目にされたことがあるかもしれませんが、私もそのようにはとても思えなかったです

ただあるときに
自分は自分の持つ価値観や考え、物事の見方などを「本当だ」と思っているけれど、自分が思っているほど、それは本当ではないのかもしれないな、と思いました

スピリチュアルから離れましても
例えば体調の悪い時には当然考え方もネガティブになったり
同じ人の同じ言葉を聞いても、もともとの気分によっては、イライラしたり、反対に笑える言葉に聞こえたり
あと、数年前の自分の感じ方などを思い出すと、なんであのときの自分はあんな風に感じていたんだろう?と思うことはありませんか
そのように、体調や状況などで、日常の中で様々に移り変わっている自分の感じ方や、考えなどを思うと
あれ、思っているほど自分の感じ方、物事の見方って、あてにならないのでは

と思えてきまして

そうするとひよっとしたら
「これは不足だ」
「あれは良くない」
「願いが叶っていない」
とずっと思っている自分の見え方が、自分では気付かなくても間違っているんじゃないかと
自分には全然見えないし、わからないけれども
本当は、達人さんたちの書いている通りなのでは?叶った世界が、あるのでは?と思ったことが、最初の↑文に書いた気付きのきっかけになりました

ミチカさんの

・何年もこの状態で停滞しているなというあなたが「今」生まれているのだと思います

・自分は自分の持つ価値観や考え、物事の見方などを「本当だ」と思っている

というところから、

★「何年もこの状態で停滞している」 という考えを、「絶対的な正しさ」の指標として、採用し続けている、何かがいる。それを、私は「自分」だと思っていた。

それこそが、エゴ ということ そして、それは、自分でもなんでもなかった、ってこと。

それは、意識でも、人生でもなかった。

端的にいえば、自分の場合

・すでにある、は適用できていた
・ただ、それとおなじぐらい「いまはない」も頑なに採用していた

もっと言うと、その中間「なんかはっきりしない」「なんかもやもやしている」も、絶対の感覚として採用していた。 「はっきりしない」「もやもやしている」っていう「自分(エゴ)」が、いま、生まれていただけなのに

「あ~だから自分を愛せない自分は、だめなんだな」って、ずっと自動反応の思考に騙されていたよ。すでにある、と自分を愛してるの関連付けをする必要なんてなかったのにね。

そして、「自分を愛していない」と思っている思考自体も、うそで、こんだけ自分の願望実現のために全力を尽くしている自分が自分を愛していないわけないだろう・・っていう

無意識の選択

こまけぇさんは本当に様々な観点から書かれていて凄いなぁと思うのですが、私が特にこまけぇさんから影響を受けたのは

(エゴが見ている)現実無視
エゴと一体化しない
思考、記憶(エゴ)の却下

「私達が自分だと感じていた存在(エゴ)が本来の自分ではなかったと気付く」

「自分が無意識に選択してきた在り方の通りに現実が見えている」

なので私の場合に当てはめると「願いが叶っていない、不足感満載の、不幸な私」は、本来の自分でなかったと気付く→自分でその在り方を選択していた→ニュートラルだったんだ→理想の在り方を選択する、という事なんだな!と思ったのですが

私はそこでも思考に飲まれ、言葉の意味はわかるんだけれど、とずっとぐるぐるしていました
今までの自分が自分じゃないなんて思えるわけない!!と笑

ですが、先のコメントで書いたように
こまけぇさんが手を変え品を変えいろいろと書いてくださっていた中で「ニコニコ動画メソッド」によって、確かに景色の中には嫌な記憶や駄目な自分とか叶っていない自分って見えないな
とある時に気付きました

みちかさんと、108さんの「向き」

エゴの影

不安とか不足感等、不快に感じるということは充足や叶った世界があるからこそエゴが見せる影なのでは、と書いた事についてですね

充足や、叶った世界というのが、太陽の光のようなものだとして
照らされているのとは逆側に、エゴの形に影が出来ている(その中に不安や不足が見えている)というようなイメージです
太陽の光がなければ、その影は生まれないですね

ミチカさんがいってるのは、108さんの向きの話ね。

痛みに向かい合う

痛みに向かい合うのは、願望を諦めるためじゃない。痛みに向かい合うのは、嫌な思考感情が止まらない時

「どうせ叶わない」という前提を、痛みごと壊すためだ。

これも冷静なコントロールが必要だと思うんだけど、いわゆる「感情ナビ」の理論と「痛み」は共存できると思っている。

「痛み」は「痛み」・・・そのままにしておくと、自分をエゴの反応パターンに巻き込んでしまうもの。愛する、ではなく、わかってあげる、に近い。

それとは別に、「なんか不快感」「かなしい」「つらい」ときは、自分の向いている方向、考えていることが間違っていますよ、幸せの方向じゃないですよ、という明確なサイン

その「間違っているサイン」のまま、「そんな自分も愛する」ってやりだすと、地獄確定。

自愛にしても、痛みに向かいあう、にしても、「自分はエゴではない」の立ち位置を明確にするためのものなのに・・・むしろ自分の場合は「エゴ」を強化していた。

まとめ

冷静に客観的に考えれば、「現象化」としては、ある意味、「認識変更!」が起こった時よりも、よいことが起こっている。

ただ、いまだに「悪夢」が続いていて、自分の人生を蝕んでいるような・・・でもそれは、まさに頭のなかの自動再生のように、それが当たり前のものとして、前提としてループしてしまっている。

でもその「悪夢」は、「影」であって、反転した「既にある」が存在する何よりの証左であるし、その「悪夢」を断ち切るための、「痛みに向かい合う」、ってことなんだと思った。

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