瞑想は本来の自分を確認する時間

既にあるのが普通だと考えると、如何に私は自分自身(世界)に対しておかしなラベリングをしてきたんだろうと思う。
邪魔をしてたのは私自身じゃないの。

誰かの酷い言葉、期待外れの出来事、
そういうの本当は関係ない。

バキュさんの瞑想をしていたら、とても満たされた私を感じた。
それが本来の普通の私なんだよね。
なのに、ここがいけない、そこがダメ、だから上手くいかない・・・と、よくもまぁ自分自身を痛めつけてきたもんです。

確かに誰かの言葉や出来事がきっかけだったのかもしれない。
でもだからと言って、私自身がそこに自分を縛る必要はなかったんだ。
私は私で居ればよかっただけ。

願いを叶えるためというよりも、本来の自分を感じる、戻る、確認する。
瞑想ってそういう時間だな。

本来の世界を見よう

なんだか分からないけど、
人生って本来はすべてうまくいくように出来てるんじゃないかな。
それが普通なんじゃないかな。

本来の世界を見よう。

それだけでいい気がしてきた。
がっかりした、受け入れた、流れが変わったなんて考えてるのが勿体ない気がしてきたヨ。

本来の世界を見よう。
そう意図するだけ。

出来事の関連付けをやめる

アテにしていたことが期待外れに終わりそうでガックリきている。
ホント、ガックリとほほ・・・

引き寄せの法則をかじったことによる弊害は、ここで無理にポジティブシンキングに持っていくことではないかと思う。

そういえば去年、仕事でとてもがっかりすることがあって、はじめは相手を恨むような気持ちになった。でも人との会話の中でそのがっかりを「がっかり」のまま受け止めた瞬間があり、そこからお金の流れが大きく変わったことがあったっけ。
努力らしい努力はしていないのに、勝手に仕事がうまく流れてお金も入ってきた。

きっとここで何かを受け止めたら、また新しい流れがくるんじゃないかーと書こうとして、

ん?
まさに今ふと思ったんだけど、

「がっかりを受け止めたこと」と「その後の流れ」って、関連付けなくてもいいんじゃない?関連づける必要なくない?

がっかりしたーという本当の気持ちを受け入れたら流れが変わったと思っていたけど、これも一つの観念。この観念、もういらない気がする。
「関係なくない?」と思ったら、ミントのような爽やかさが胸に広がってきた。きっと関係ないんだ。

何を感じていても何をしていても、豊かさは流れ込んでくる。くるというかきている。常に与えられている。それがデフォルト。そんな気がする。
これが既にある?

どんな自分も私。いろんな私がいていい。

今日はちょっとしたハプニングに見舞われ、パニックになった。

今までの私なら、パニックに陥った次は自己嫌悪に陥っていただろう。
でも今日は自分を責めずにいた。
本当に困惑したし、相手の対応に納得いかなかったんだもの。

と言いつつ、少しは「もっと大人な対応をできたんじゃないか」と、そう出来なかった自分を悔やむような私もいて。
そう出来なかった自分、
そんな自分にガッカリしてる自分、
いいや、私は腹が立ったんだ!と謝りたくない自分、
いやいや、精一杯の対応をしたじゃないかと感じてる自分、
今日1日をとっても様々な自分がいる。

どんな自分も私なんだ。
いろんな私がいていいんだ。

とことん自分を愛してみると決めた

私以上の人はいないんじゃないかというほどコンプレックスの塊の私。
潜在意識とか引き寄せとかかじって、それなりに効果も感じてる。

でも本当の本当の本当は、心の奥底では、私の人生って、いや、そもそも私って惨めだとずっと思っていて、物心ついた時から、他の誰かや何かになるためだけを目的として生きてきた気がする。

もうそういうのは嫌なんだよ。

潜在意識系のサイトを見る中で知ったisaさんという人の「自愛」。
以前から感銘を受けて時折読み返していたけど、とことん自分を愛してみると決めた。
その記録としてのブログです。