腑に落ちる、とは、まさにこのこと。
よしおのコメント
年末からの自分のブログを整理する過程で読み直していた、よしおのまとめ記事。以前は、意味が分からなかった・・というより、理解する気もなかった、なにげない一言が、解放のきっかけになった。
>本当はエゴが騒ごうが、死にたかろうが、否定的に考えたりすることも
願望達成にまったく関係ない>ここ、叶うはずないと思っていたら叶わないんじゃないの?
あと47さんは、どういう経緯で7章認識になれたのでしょうか?
自愛、セドナ、自己観察などはやらなかったのですか?願望を抱いた時点でもう叶ってるんだから、
エゴ騒ごうがどう感じていようが関係ないってことですよ。
望みが叶った後にどう感じようが自由だし叶ってるから関係ないでしょ?だからそんなものに振り回される必要ないってこと。
何に振り回されているっていったら映画のスクリーン部分(制御できないところ)なんですよ。
ってどうしてもチケットとそのまま同じ解説になるなw
本当にそのままなんだけどね。7章への経緯で思ったんだけど、各種メソッドって
‘なんのメソッドやっても叶わねえ(制御できねえ)’を味わうためにあるのかもね。‘効果ありそうなメソッドを見つける’
↓
‘叶ったり、叶わなかったり’
↓
‘別のメソッドを探して一生懸命取り組む’
↓
‘叶ったり,叶わなかったり’
↓
‘もっと叶えたいから、もっとメソッドを頑張る!'(重要度を高めてしまう)
↓
‘頑張る前よりも叶わない’ヘトヘトになる。
↓
‘何かおかしい。メソッド関係なくね?’
↓
‘はじめからあんじゃん’メソッドやってもいいし、やらなくてもいい。という感じでしょうかね。
あとは7章に書いてあることの通りまんまです。~略~
>道に外れたとき警報音を鳴らす…なるほど、’ない’前提のエゴがいる
いつのまにかエゴにとりこまれてた自分に気づけた
どうもありがとうございます。>なんだかしらないが願望が叶った。なんだかしらないが願望は叶う。
これをとにかく許可しろ、そういうアプローチだねエゴがピーピーしようが,それは願望達成に関係ないってことだよ。
警報が、叶わないことにつながるんじゃない。
警報鳴らないことが、叶うことにつながるんじゃないよ。関係ないんだよ。でな,このエゴのピーピーは映写機のスクリーンなんだよ。
それは変更できないんだよ。だからなにも関係ないし故に影響与えないんだよ。
だからそれに捉われる必要はない。探すな,探すな。探しても出てこないお。ロジック超えてるからね。
一番初めと終わりだけ知ればいいんだよ。
願望を抱いた時点で全自動で達成。間はどんな状態であろうが全く関係ない ーよしお : Without the Mind
欲しいと思ったら、それが手に入る。
その間にメソッドや、行動や、いろいろやることが入るんだ。そこは全く関係ないんだ。
叶っている
よしおはどっちかっていうとこちらのコメントのほうが有名だと思っているけど。
>129 :幸せな名無しさん:2013/11/08(金) 00:34:08 ID:vbsy20b20
>レス返しで”叶わない理由だけ”を書き捨てしてるのが多いね
>何故か”叶う理由”は書いてくれてないし、触れもしてない叶わない理由だけを書くのは叶っているが前提だからじゃねーの?
それもわかって無くてなんでこのスレにいるのかって話だ。
足していって叶うんじゃねーよ、引いて叶わねんだよ。
<< 意味 >>叶っているが大前提。叶うじゃないよ。
だから、叶えたい、叶ってないはエゴとか思考の嘘。関係ないってこと。
嘘を自分で採用してしまって叶ってないになっている。146 :幸せな名無しさん:2013/11/08(金) 17:06:36 ID:kDn8MfJA0
叶うっていう表現だとどうしてもない→あるという時間の流れ感じちゃうけど、
願望を抱いた時点で全自動で達成。間はどんな状態であろうが全く関係ない ーよしお : Without the Mind
叶うと思ってても思ってなくても叶う、ではなく、もう既にある(叶ってる)んですよ。
叶う(ある)に条件はないんです。
チケットじゃん
んでもって、よしおの言っていた内容を確認するために、改めてチケットの7章を読んで「肝心要」はここだと思った。
今まであなたは、エゴの領域から四苦八苦して現象をコントロールしようとしてきました。これは、本来の在り方からすれば正反対のことです。
これで、いくら求めても得られず、得ても失うという、首をかしげるような現実の意味がわかったはずです。
やり方がまるで逆だったのです。
期待した成果を得るには、原因を変える必要があります。
我々が延々やってきたことは「結果を直接コントロールしたい」ということです。結果である現象をコントロールするために、(既に現れた結果でしかない)現象部分にアプローチしていたのです。
映画の結末を変更するには、シナリオを書き換えなくてはなりません。我々がしてきたことは、スクリーンに投影されている映像を、直接変えようとしているようなことだった、ということです。
観客であるあなたが、今上映されている映画の内容を変更できるはずがないのです。
変更するには、作り手にならなければなりません。
エゴの視点を持ち続けている限り、無理なのです。
今までは、正しい方法と正反対のことをしていたのです。これで上手くいくはずがないのです。
ザ・チケット P204
改めて読んでみると、チケット7章の後半は、7章認識のためのメソッドとして「関連付けの放棄」があるけど、エゴ視点に寄り添いすぎて、かえって道に迷ってしまうのではないかと感じた。
映写機
そして、芋づる式に思い出した。108さんのチケットよりも、超・本質的なのは、108さんのこちらのブログ記事だと確信。
以前も紹介したけど、ただ、理解の本質が異なるのは「本当の自分」が「観客」の立場だった、という言い方よりも、「自分だと思っていたものが、スクリーンに映った映像だった」という、視点が逆の気づき。
ということは、どこかに行き、何かを行い、何かを書き、何かを聞き、何かを喋っているあなたは主人公かもしれませんが、それはあなたではありません。
その時何かを感じているあなた、つまり実際に経験しているあなたこそが本当のあなたなのです。チケットは無数にある
感じている者こそ自分の本当の「主体」だと気づくと、あなたは現実に急きたてられる主人公の役割から解放されます。
現実は拷問ではなくなります。
あなたは投影されている映像の一部ではなく、それを鑑賞している観客の立場に立つことが出来ます。
そして、元々そうだったのです。逃れられない唯一のストーリーの呪縛から解き放たれます。
現実は、あなたを不自由に閉じ込めておく檻などではなかったことに気づきます。
今までのあなたは、その映画にのめり込み、主人公と一体化していたため、その視点を持つことが出来ずにいました。
しかし、ちょっと用を足しにいった瞬間に、本当の自分に気づいてしまったというわけです。「私はどうして、見たくもない映画に必死にのめり込んでいたんだろう」
もうこの作品の続きを見る必要はなさそうです。
あなたは映画館を後にします。そして、本当に見たい映画はどんなものか、想いをめぐらせます。頭の中に、面白そうな映画のストーリーが浮かんできました。あなたは楽しくなって、思わずウフフと笑いがこみ上げてきます。
目を上げると、正にそんな面白そうな映画の看板がそこにありました。
「これだ。これにしよう」
あなたはウキウキしながらその劇場に入っていきました。
なんとなくですが、面白そうな映画であることは直観で分かりました。
それに気に入らなければ、また別の映画を選べば良いだけのことです。
映画など、星の数ほどあるのですから。次の映画に移る
この現実を、逃れられない唯一の現実だと信じ込んでいると、観客の視点を持つことは不可能です。
その時あなたは、主人公としてそのストーリーと必要以上に密着してしまい、強力にその現実を固定化してしまいます。結果、似たような現象化が延々と繰り返されることになり、変更はますます困難になります。はっと気が付いて、観客であることを思い出したら、何が起きるのか。
何も起きません。ただ、本来の視点を取り戻すことが出来るようになります。
今までは主人公として現実に感情移入しすぎていたため、極めて近視眼的な視点しか持ち得ませんでした。これはエゴの視点です。
もっとよく見ようと、読んでいる本に極限まで目を近づけても、ますます読みづらくなるだけです。そこで何とかしようと取り組んでも、暗闇で闇雲に動き回っているようなものです。そんなことをしても上手くいくはずがありません。そこから一歩引いて、主人公である自分を観察する観客の視点を持ってみる。
それは本来のあなたの視点であり、別の領域から正確な観察を行っているということです。つまり完全に安全な領域から、全てを見通せているということです。
「志村、うしろうしろ!」
主人公に適切な指示を与えることも可能です(笑)。
大局的な視野でもって、全てを見通すことが出来るようになるのです。
思い出してください。別の領域は可能の領域です。そこに不可能という概念は存在しません。
つまり、あなたがその地点から現実を眺めているとき、その現実は如何様にも変更可能だということです。
あなたがその視点を持つだけで、現実は自動的に望むように変化していきます。なぜなら「現実は如何様にも変更可能である」という者としての立場で、現実を捉えるようになるからです。これは主人公としてストーリーに密着しているときには起こり得ない出来事です。気が付けば、あなたは以前とは全く別の映画の中にいます。いつの間にか映写室のフィルムが掛け変わってしまったようです。
しかし本当は、フィルムを掛け替えたのはあなた自身です。それが出来る立場であることを思い出した「あなた」なら、それは何の造作もない、極めて容易なことなのです。最後にもう一つ、とても気が楽になるメッセージをお伝えしましょう。
あなたは苦労して望む現実を創造する必要は全くありません。
何故って?それらは既に現実として存在しているからです。あらゆる現実は可能性としてではなく、本当の物質的な現象として、全てあるのです。あなたはその中からお望みのものを、観客の視点でもって単に選ぶだけでよいのです。
簡単でしょう?(笑)
現実という罠(その2) ザ・チケット
パンツのゴムさん
この視点がわかったから、やっと「パンツのゴム」さんの言ってることも、納得できる。すごいな~と思っていたけど、この方、まじで7章の王道だよなあ
願望というのはそもそも、
“求めているものを得る”ことではなくて“得ている状態になっている”ことじゃないのかと思いついたとき、
もうすでに持っているが願望?なんで求める必要があんのか?もうすでにあるのに?
“既にある”ことが願望なら、願望抱く必要なにもないやんけ。すいませんうまく説明できません。
ただ、そう思いついてから今までの渇望が消し飛んだというか。これが噂の7章なんですか?
さっきも求めているものとは真逆の現実見ましたが、今まではそれ見て焦っていたはずなのに、今は
なんでずっとこんな求めていないものを変えようとばかりしてたんだ、これはもともと求めてないんだから
自由にさせといていいやんかとしか思えなくなりました。今まで、求めていない現実→求める現実(にしないとならん)、
の矢印がどうしてもくっついて消えなかったのが、
まさにパンツのゴム切れるかのごとくスパーンと関係性無くなったです。なので求めていないもののほうはあってもなくても別にどうでもいい
「ID:sB4ZHTV20」 “既にある”ことが願望なら、願望抱く必要なにもない | ザ・チケット板☆備忘録
関係なくなるのは、「エゴはスクリーン」だからですね。
自戒を込めて
自分のこの記事も載せておく。引用してる記事はちょっとニュアンス違うけど、「叶っているからいい気分」なんだ。
ワクワクできる映画を選択している時の状態が「いい気分」ってこと。108さんの「向き」にも相当。
まとめ
なんだろうね、いままでも何度かあったけど、ただの「言葉」の受け取り方の違いで、こうも認識が変わるとは・・・「エゴはスクリーン」という一言だけで、これまでの自分のすべての悩みが解決してしまったようだ。この一言で、「自分はエゴではない」こと、すっと、エゴの視点から離れることができる。
現実は過去、というニュアンスにも近い(というか含まれている)けど・・・やっぱり、「自分だと思っていた存在」が、収録済の「映像」として映し出されているモノ、この視点の変化が本当に大きいとおもう。
すでに撮り終えているので、「編集不可」なんだよね。触る必要がない。観たいものがでてこれば、またみればいい。
解放感あるなぁ~~
好きなことしよう、ってなるね
年末から、もっといえば、12月から悩み苦しみ、思考でパンパンになって、はじけ飛んだ結果が「関係ない」だったわけですね。
追記 メソッド&概念 振り返り
もう、「END OF SORROW」だとおもうので、いましか書けないことを書いておく。
その通り!
・自由意志はない
桑田さんかこまけえさんが「エゴにとらわれているときには「自由意志がある」と感じる」みたいなこと書いてあったと思うけど、その通りだと思う。映像としての自分になると、どうすることもできない。エゴ的にはなかなか受け入れにくい概念ではあったけれども
かなり近かったけど、惜しい
・イメージング
・愛に浸る
・向き
やっぱり、自分で効果を感じていただけあって、かなり「惜しい」ところまでいっていた。あとは、「自分」の捉え方だけだったなぁ・・・
どちらともいえない
・感情ナビ
見たい映画を観る、という点では大事だけど、ネガティブを必要以上に恐れてしまう欠点もあった。
・自分=世界
イコールじゃない気がする。自分→世界、って感じだよな
意味がなかったメソッド
・自愛
・自己観察
・なる
・現実無視
・思考停止
・設定
これらは、「エゴ」前提で「現実」があることが前提だから、自分の場合は「エゴ」「現実」を強化するだけになってしまっていた。
こまけえさんの「いま」
1つ前のミチカさんの記事で一緒に引用しようとしていた、こまけえさんのコメントなんだけど。
何度も言及していますが、スピリチュアル業界の本尊は「自分=世界」です。目の前の視界に広がっている光景は全て自分が創造したものであります。創造と言いましても、それは私たちの無意識の思考習慣や常識を根源としていますので、内面を詳細に観察しない限り、その過程や仕組みを自覚することはできません。ですので、「お金がない」「恋人がいない」などと常に意識が不足に浸かっている人は知らず知らずのうちに、そういった世界を作ってしまっているのです。そして、その不足の世界をまた足場にし、そこから同じように不足の認識を形成し、その投影としてさらに不足の世界が……(以下、無限ループ)
そういった不足のループを断ち切るために、無意識に垂れ流している思考に気付くことが重要になってくるのです。気付くことでループの外側へ意識の所在を移せるのです。そして、その意識の座標が俗に言う「別の領域」、または「今」と呼ばれるものです。
「今」という言葉を聞いて、みなさんはどういったものを連想するでしょうか? おそらく、瞬間的に心に浮かんだのは、今、実際に目に見て感じているこの現実のことだろうと思います。しかし、スピリチュアル業界において、それは「過去」に当たります。では、「今」とはどこにあるかと申しますと、それは頭の中です。
頭の中の意識、それが「今」です。そして、「今」が世界の製造工場なのです。現実に見えている世界は全て「過去」に製造工場で作られたものなのです。ですから、今見えている世界は言ってみれば既製品なので、変えようといくら現実的に働きかけても、製造工程が済んでいるものには何の変化も与えることはできません。
しかしまた、それは過去という固形物ですので、それに惑わされない限り、あなたの「今」、つまりこれからの世界に何ら影響を与えることもないのです。そのことをしっかりと踏まえた上で、「今」という製造工場で過去や記憶といった制限に囚われず、好きな世界を製造すればいいのです。あなたの内面が本当の「今」なのです。現状、不足の現実が見えていたとしても、そこに余計な意味を与えなければ、「今」からまた「はじめの一歩」が踏み出せるのです。
これ、一時は「とてもいい記事」だと思ったんだけど、「現実」視点なので、やっぱり、実践としては、できない、非常に難易度が高いんだよなぁ。
こまけえさん全般に言えるかもしれないけど、「わかりやすく本質」を伝えてくれているが故に、「エゴ」が「現実」で、なんとかしようとする!、導線にもなってしまい、結果、再び大迷宮に挑むことにもなってしまった気がする。
そのあたりは、こまけえさんもわかった上で、こちらの記事で、受け取る人の立場による、その伝える難しさを語ってくれているように思うけど、
結果、以前は「何言ってんだコイツ?」的な、よしおから脳天直撃の気づきを得たり、抽象度の高い表現が腑に落ちたときに改めて「108さんってマジすげえな・・・」って感じられた部分もあり、今後もブログで書きたいことがたくさんあるような、何を書こうか迷ってしまう部分もあるな。
とりあえず、この認識を深めつつ、いまの結論にそった形で、過去記事を修正していきたいと思います。


コメント
tonpeiさん、明けましておめでとうございます。実山椒でございます。
「お正月から潜在意識にかじりついている同志のためにも〜」という書き出しに爆笑しました。何故なら更新された1/3に、まさに私はtonpeiさんのサイトを訪れていたからです笑
いやー、嬉しかったなあ。正月から潜在意識かよ…などと思ってた矢先でしたので、同志の存在が心強くありがたかったです。笑
11月にあまりに現象化しないあまりエゴが暴れ、こちらに書き込ませていただきまして、それからtonpeiさんが書かれていた断捨離を少しずつ進めながら元祖一式も頑張っていました。断捨離、まだ途中ですがいいですね! 徹底的に一角をすっきりさせると、自己肯定感が勝手に上がったのを感じました。今まで言えなかったことをすんなり相手に言えたりして(何故今まで遠慮して言えなかったのかむしろ謎な感じ)。
それから認識も少しずつ進んでましたが、今回の正月4弾更新のおかげで、かなり理解が深まりました。
tonoeiさんの知識量がすごい。達人まとめは読んでいましたが、知らなかったものも沢山ありまして。既読のものでも、挙げて下さる引用部分が、今まで読み流していたところで、「あーーー!」と今タメになったりするので、本当に助かってます〜。
今回、挙げてくださったミチカさんの記事で「アファの代わりにホ・オポノポノ」部分、パンツのゴムさんの冒頭文、そして108さんのスクリーンの話が刺さりました。観客は自分、という喩えは知っていましたが、それよりも、スクリーンに映ってるのがエゴ、だからそれをどうこうするのは違う、というのでやっと腹落ちしまして。
そしてパンツのゴムさんの「さっきも求めているものとは真逆の現実見ましたが、今まではそれ見て焦っていたはずなのに、今はなんでずっとこんな求めていないものを変えようとばかりしてたんだ、これはもともと求めてないんだから自由にさせといていいやんかとしか思えなくなりました。」の意味が分かり理解が深まりました。これが現実無視ってことなのか〜。納得〜。
実は最近、108さんの知覚を疑うも併用してまして、私の場合「こ、これは違うんだ、違うんだ」と現実ガン見状態で真剣に否定するという、逆に現実を間に受けて強固にするみたいな滑稽なことをやってたことに気づきました。現実無視の方法の表現が違うだけなのに、理解がズレるとダメですね笑
あと「向き」ってすごいなと、ようやく実感しつつある感じです!
>実山椒さん
あけましておめでとうございます、同志!笑
潜在意識には年末年始も夏休みもありませんからね、ばりばり働いてもらわなくては。
断捨離にしても、こちらの記事にしても、お役に立てたみたいでよかったです。廃人歴も長くなると、達人記事の記憶のストックみたいのは頭の中に大量にあるので、ふと何かの気づきで「あ、これは〇〇さんが言ってたことだ」と思い出した時に、記事にしてますね。何度も引用してる達人は、自分に相性がいいんだと思います。
パンツのゴムさんは、ひらめき型天才肌だと思っていたので、憧れはするものの、あまり縁がないかな~と思っていたんですが、「エゴはスクリーン」の話を通すと、すごく納得感があって、自分でもうれしかったです。
潜在意識に限らず、学習でよく言われるやつですけど、自分の理解が進んだ分、前には気づかなかったことに気づけてくる、みたいなところなんだと思います。
「向き」はいいですよね。
「既にある」よりも体感的にわかりやすいし、108さんの偉大な発明だとおもってます。
きっと「向き」のような、【目指すべき心理状態】に向かうアプローチはいくつかあって、このスクリーンの話にしても、元祖一式にしても、オポノポノにしても、どれか1つを突き詰めれば早いと思うものの・・・
ごっちゃになっちゃうのが、自分のよくないところだよなぁと思いつつ、とりあえず方法論を書き散らしている次第です。
やっぱ、それぞれに「なじむ」方法があると思うので、ぜひぜひ「知覚を疑う」の実践結果も、また教えてください。
こうやってコメントでやりとりさせてもらうことで、こちらも理解がすすみます。
ありがとうございます!