「今」しかない&不足は存在しない

ここ10日ぐらい、怒涛の忙しさで、以前書きかけていた記事がなかなかアップできない間に、また考え方も変わりつつも、108さん動画まとめのユリイカさんの内容が刺さったので、とりあえずメモ的に載せておきます。

「今」しかない

◆@aikay7513さん
ふと気付いたんですけど…

今この瞬間楽になるっていうのを私、無意識でほんの少し未来に設定していたのかも…?

時間軸的な思考してた。
(過去に)借金した(継続して今もある)→不足を疑うなどして今楽になる。その瞬間、楽になってもまた戻る→これって毎回(過去から継続して連続してる自分)に設定してる。

そうじゃなくて、「今」しかない。真っ白な「今」に過去から連続してる(とエゴが思ってる自分)をいちいち毎回設定しなくて良い。

「荷を下ろす」もそういうこと?
うまく言語化出来ないけど…
だから、「存在しない!」で良いんだ。
時間軸的思考を止める、過去から継続してる(エゴがダメだと思ってる自分)は、存在しない。

ああ、なんだかうまく言語化出来ない、分かりかけてる気がするけど、モヤモヤしてる。

参考元サイト:コメントへのご回答 All my treasures

【108さんのコメント】
そうなんです。これ結構確信をついたねコメント。結構自分が持っている今の自分の現状とかいろいろあるではないか。それはベース、基本線みたいにしてそこに戻ってしまう。そこを発端としてそこをベースに、根拠にいろんなことを発想したり考えたり行動したりしてしまう。

だからそれは結局関連づけ。たった今この瞬間というのは何もない。本当におっしゃるように真っ白な状態。本当は自由なキャンバスと一緒で何でも何でも自由に描ける。が、そうしてないといろんな条件が今の現状と思えるものがくっついてくる。

単純に、今これを体験したいということに、たった今この振動数・意識を合わせてその振動数になればそれを体験していく次元に入っていく。思考で引き戻されようとするのをやめるというか、そういう関連づけをやめていくことが大事。

どうしても私たちは日常生活を送る上では、いろんなものを現状と思えるものを考慮しなきゃいけないとなってるいるがそれは別にそれでいい。だが、そうではなく自分が体験したいことに関してはそういうことと全く無関係にこれを体験したいとなればいい。

それは子供みたいな感覚でまっさらな感覚で思えばいいんで、そこに思考とかいろんな現状とか条件を入れてくる必要はない。入れる必要ないっていうか入れちゃダメ。

単純に純粋に、たった今真っ白になって。

たった今って、瞬間にこうっていう風に自分が定義したことの方を向いていくのでそれを体験する方向に入っていく。そういう感じにしてください。現状を全く無視しろとか言ってるわけではなく、現状は現状で考慮して。でもそれと別に自分が体験したいことは、それと全く無関係に今定義していいんですということ。

コメントへのご回答 あっと驚く12月 |ユリイカ♪

「現状は現状で考慮して」という一文が素敵。病気だったら病院は行くよね。

不足は存在しない

◆@りんごの水筒モッツァレラさん
別の領域はエゴ以外の領域であり現実は内面の投影なんだから、エゴを採用しなければそれはもう別の領域を採用しているという事であって、既に叶ってるという事

参考元サイト:コメントへのご回答 All my treasures

【108さんのコメント】
そうですね。これもすごい端的にその通りですね。

だからエゴ以外の領域ってそのエゴによって歪められているから、その実際の領域とは違うところを私たちは見ている。それはよく言っているように幻想であり幻覚だということ。

そうではなくて、実際の領域とは別の領域=実像=完璧な充足なのでそこには不足はない。そのエゴによって何重にもレンズをはめてその像を歪めているから不足というものを体験することになっている。

実際にはそれはないものだということ。錯覚みたいなことに過ぎないということ。だからそこを意識する。実際には充足しかないんだと。実像があるだけなんだと。

私たちは常にそこに実際にいるんだということを、信じるというよりはちょっと考慮してみる。そしたらギュッと握ってたエゴの認識みたいなところが緩んでくる。そうなれば実像の要素が反映されてくるのでそれは体験できるようになってくるということ。

コメントへのご回答 あっと驚く12月 |ユリイカ♪

もういっちょ

◆@1111osushiさん
慣れていないうちは嫌な現実が来た→幸せな気持ちになれることをするを繰り返していると、どんどんその不愉快に振り回されるスパンが短くなっていくんですよね。

だから108さんのコメントのご回答も皆さんのお悩み→お前はもう幸せだ(北斗の拳)、皆さんのお悩みに→あなたはすでに幸せなんですよになっちゃってもおかしくないよ笑

だから108さんが教えてくださるメソッドは、自転車の補助輪みたいなものでもうみんな超絶幸せな状態になってていいのに、あまりにも不幸に対処するのが当たり前で、そこから逃げるとか見ないふりをするのは無責任だとかなってしまっているだけなのだから、気づいたら向きを調整慣れるまでは自転車に乗るような工程ですね。

不愉快→気づく→向きを直す→不愉快→気づく→向きを直すのを繰り返しをしていると本当に落ち着くんです。
鬱陶しい電話がかかってきたり焦燥感を感じてしまう日もありますが毎日幸せに浸りまーす。
嫌な出来事が依然として解消していない。

新たに起こるというのはたまたま起きただけとか奇襲みたいなことであり、もしくはエゴの死に物狂いの命乞いなのかな笑いと捉えていますがこれらはなぜ起こるのでしょうか。

そういったことに対しては本当に108さんのおかげで動じなくなってきて流されるようになってきています。
ただ知識として少し気になるのでご教授ください。

参考元サイト:不明

【108さんのコメント】
これも素晴らしいですね^^

なぜ起こるのでしょうか?って実際は起きてないんです。真理の観点で言えば。起きてると思ってるだけ。

不足は何度も言うけど実際のことではない。幻覚。だから起きてはいない。起きてるように見えてるだけ。それに意味なんかない。

不足に何の正当性もないし何の意味もない。単なる幻覚に過ぎない、気のせいみたいなこと。だからいちいちそれに対してどうしたらいいのだろうかって取り組むってことは、それが正しいこと、あると前提として取り組むようなことになってしまうと幻想脳に入っていってしまう。その認識を持っておくこと。

ただ不正プログラムなので不足は見えたりするが、それにいちいち真剣に取り合わなくていい。そういう感覚でいれば、また幻覚かというような感覚になる。そしたらそこまでもう深刻な感じにもならないし自分自身からそれに振り回されたりもしなくなってくる。

もっと不動の立場でというか、その安全なところからその状況を眺めるみたいな感じの立場に立てると思う。そうなったときは、その中心部にいるということになるし、それは実像に根差した根拠・後ろ盾があるということになる。

そうなれば、そういった不足みたいなこともそこまで深刻に取り合わない。すると不足は勝手に消えていく。なぜならギュッと掴んでないから。握力はどんどん掴まなくなっていくから緩んでいく。不足が元々ない幻想のようなものだからいちいち掴んで止めてたのはそれをしなくなるので勝手に消えていくということ。

とにかく深刻にならないこと。だから気楽であることが最優先ってのはそういうこと。気楽でいればそういう深刻にはならないので。そうなれば不足を掴む握力もなくなってくる。楽に、どんどんどんどん不足は見えていても勝手に通り過ぎていくだけのものみたいな感じになっていく。

コメントへのご回答 あっと驚く12月 |ユリイカ♪

自分の過去記事だと、このあたりの108さんのコメントにも関連。

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