ロジック的願望実現&認識変更

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2年前みたいに「どかーん」ではなく、理屈的に「願望実現」&「認識変更」に至る(はず)の経緯を書いてみた。※個人の経験談です笑

結論

「願望が実現したときの感情を感じたい」がすべて

 → それこそが、実像。充足そのもの(現象化はおまけ)

 → もっというと、自分=愛

願望実現の早道

★イメージングが鉄板

 → イメージングは、イメージングじゃなかった

1.イメージングが素直にできる → 問題なし

2.イメージングしようとすると、抵抗感がある・できなくなる → 自愛

  

認識変更の早道

認識の変更、といっても、人によっていろんな定義があると思うので、ここでは、

認識変更=「エゴは自分ではない」と気づくこと、そう振舞えること、とします。

完全にエゴと縁をきれなくても、「エゴが薄くなる」と、「イメージングしやすくなり」「叶いやすくなる」

なので、認識変更のための努力は無駄にならないとおもう。

自愛

1.isaさんの自愛(言葉がけ)だけで、いける人 → 何の問題もない

2.個人的のおすすめは、風船自愛

3.それでもダメな人(自分含む)の最終手段が、「痛みに向かい合う」

達人とか呼ばれるレベルの人が「現実無視」とか軽く言えちゃうのは、そこまでの「痛み」がないからだと思う。でも、あなたとは違うんです!!

こまけぇさんも書いてたけど、自愛は万能で、あらゆる願望の根底にあると思われる「愛されたい」という願い(お金持ちになりたいのも、愛されたいから)を先取りする、もっといえば、それが「許可」できる自分になれる、という点もあるし。

プラス「痛みを受け止める」には、「いまそのままの自分を受け止める」という、マイナスを受け止められる安心感が追加されるから、恋愛にはなお効果的。

自分のいい面だけじゃなく、自分のダメだとおもっている面も含めて、愛されたいもんね。

痛みに向かい合う

現実への反応や、何千何万回とエゴに乗っ取られてきた、自分がたどり着いた最終手段・・・「痛みに向かい合う」

ループしている方の特効薬は「痛み」で間違いないと思ってる。

痛み・・・突き刺さるような感情、といったらいいのか、胸の奥がぎゅっとなる、ズキズキする、逃げたくなる衝動、とにかく、精神的ってよりも、肉体、物理的に感じられる「痛さ」

エゴは、その「痛み」を感じたくないから(生命の危機を感じるから)、ありとあらゆる手段を使って、その「痛み」から逃れようとする・・・それが願望実現から遠のく決断だとしても。。

だから、とにかくとにかく、「現実の状況」に捉われず、反応せず、その現実によって引き起こされた、自分の痛みに矢印を向ける、その痛みと共にいる。

 → 「他人はいない」を併用するとなおよし。

痛みがあるだけで、叶っているかどうかとは関係ない。痛みも幸せは関係ない

痛みに向かい合い、それが怖ろしいことではないこと、大事にしてもらいたがっている部分であることに、慣れる(消すわけではないし、なくなりもしない)

痛みは、痛み。「感情ナビ」とはまた別。

「自分にとっての理想的な状況」というイメージング・認識を持とうとしたときにでてくる、「(そうなれないかもしれないのに・・・という自動反応の)痛み」を受け入れていけば、どんどん、望む現実は受け取りやすくなる。認識変更って、単純にそういうことだよね

ループしている方の再配達

ループしている方には、自分と同じように「再配達何十回目?」みたいな人が多いんじゃないかと思ってるんだけど、早めに受け入れたほうがいいかも。再配達でもカンペキング・・・とやった場合、たぶん、カンペキングのほうが負けます・・・自分はそうでした。

要は再配達ってのは、感情感じきるうんぬんではなく、最終的に自分が心の底で良くも悪くも信じているものが実現する感じ。

「感情を感じきる」の先に行けなかったといったらいいのか・・・その感情が伝えていること(痛みがある事)に向かい合えなかった。

心の矢印

恋愛が本願であれば、その意中の人の「機嫌」が、自分のすべてになりがちだし、お金だったら、貯金額とか月収とか、とにかく、心の矢印が外側に向かいがちだと思う。

それは、逆に言うと、心の矢印を内側に向けると「痛み」を感じる恐れがあったから・・・だと、いまは思う。みたくなかったんだよ、自分の内側。

でも、「痛み」に真正面から向き合えるようになった今では、矢印が内側を向いていないほうがおかしいし、痛みもずっと続くわけじゃないし、おさまってきたときに、自由に自分が本当に望む「愛」を内面で感じられる

だから、体験談である「内面の充足に浸っていたら、現実はどうでもよくなってきた」ってそういう過程だよな。

自分がいま、どっち側を向いているか意識するのはいいかも。「コントロールしようとするな」というのは、外側の事象に対して。

701さんの書き込みもご参考に。

何でもそうですが、他人の言葉に力を持たせすぎると足枷をわざわざ作ってしまうことになります。

そういう意味でも、ご自分の感情や選択に一番の信頼を置き丁寧に扱って下さい。
丁寧に扱えばいずれ本質が分かります。
そうすればもう、自分の感情に抵抗するなんて意味がないと分かると思います。
自然と他人の言葉も現実も力を失くしていくでしょう。


701式 『 なる 』 719さん 8 感情を感じきる→認識の変更 | 潜在意識の達人語録

継続

そして、何より大事なのは「継続できるかどうか」って点。

自分も含めて「認識変更報告」「実現報告」は、一発屋の可能性が高いのではないかと思っている。一度認識の変化を感じたとしても、それがずっと続くとは限らない。

ただ、完全な認識変更じゃなくても、道中で叶いやすくなる(エゴから離れやすくなる)ので、継続する価値はあると思う。

というわけで、自分も「痛みに向かい合う」を継続しているわけだけど、痛みに向かい合うのは、不快ではあるけれど、思考から離れて「いまここ」にいることにもつながるので。

そして、いちばん肝心なところが、「痛み」に耐えられないと、容易にエゴの思考や感情に意識が乗っ取られて、現実をみて自動的に判断し、自分の「設定」を書き換えてしまうこと。

痛みに意識が乗っ取られなければ、「ゼロになる」のもやりやすいし、そこから、好きなイメージングをすることも容易。

まとめ

大まかな概念はこれで間違いないと思うんだけど、自分も実践を重ねつつ、この方向で突き詰めてみたいです。

肝心の「痛み」についても、自分の中で理解度が上がってきているので、また文章化できそうなら書きます。個人の感覚の話なので、説明が難しいところもあるけど。

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