意識は自由なんだ!

いまの自分に「認識の変更」は何かといわれたら、「”意識は自由”という気づき」、と答えるかも。

すごい楽になってきてる。

書きたいことが多くなってしまったので、3記事に分割します。

意識は自由

これまで、「自由意志はない」にこだわってきたけれど、「自由意志はない」は、エゴの自動反応のこと。そんな「自由意志のないエゴ」を選択するかどうか?を含めて、意識は自由。

過去記事でいえば、これ

メインの引用記事を再度引用。

「自分の意志で心の声を発して、それを聞くことができるし、自分の意志で心の声を聞かずに鳥の声に意識を向けることもできるし、自分のお腹だろうが指先だろうが、自分の好きなように意識を向けることができるし、自分の意識はこんなにも自由じゃないか」って思ったんだ。


それと同時に、「自分の肉体はもちろん、自動で発せられる思考や感情というのは、鳥のさえずりや、遠くで走る車の音と何ら変わらない、ただの自然の一部にすぎないじゃないか、「コントロールしよう」と思っていたのが最初から間違っていたんだ、鳥のさえずりを聞きたければ、それに意識を向けるだけでいいし、月明かりを見たければ、それに意識を向けるだけでいいし、意識を向けたいものに意識を向けるだけじゃないか」ということに気づいた。

【方法論】「望む状況に意識を向け続ける」望む状況に意識を向け続けるだけでいいんだ。

で、上記の達人さん(641さん?)、まとめ以降にまだ掲示板の書き込みがあったので、探ってみた。

あなたの日常の意識状態はあなたにしかわからないから、推測でしか話せないが、少なくともいくつか確実に言えることは

>でもでも、何年もこのままなんですよ~

とあなたが書いたこの瞬間だけは叶っていない現実にあなたの意識が向いていた。

さらに、

>過程でしょうか?

も同様。叶わないかもという不安に意識が向いていた。
ということはわかるかな?
>>644さんが指摘されてるように、普段からそのような意識状態になってることが他にもあるのかもしれないね。
北極星は見上げるけど、南を向いて歩いてるようなものだ。
とは言え、701さんのように最初から北だけを向いて坦々と歩み進むことができる人はそう多くないと思う。
現に私もそうだったよ。
だが、意識の主体性に気づいてからは、「叶う」でも「叶った・叶っている」でも「叶うかも・叶う予定」でもなんでもいいので、とにかく望む状況の意識を常に意識的に持つようにした。
最初から701さんのように真北に進めなくてもいい、北東でも北西でもとにかく前に進み続けようという気持ちだった。
すると少しづつ前に進んでいる実感が湧いてきて、いつのまにか意識しなくても、実現を確信する内心的状態が当たり前になっていった。
そのような状態で物事を見ると、過去の自分なら様々な意味づけをしていたであろうどんな出来事も全て実現のためのお膳立てのように思考することに意識が向くようになっていた。
701さんの「叶った世界」はこのことを言ってるのかもしれないね。
ちなみに、アファメーションで有名な199さんのエピソードの真意を私は読み間違えて、苦しんだことがある。
彼の話を素直に読むと、アファメーションや言葉に願望を叶える何か大きな力があると勘違いしてしまいがちだが、それらは意識が望む状況を向くためのあくまで補助ツールでしかないということ。
どれだけ「叶う・叶った・叶っている」という趣旨の言葉を繰り返そうが、意識が「叶わない不安」に向いていたら、何の意味もないどころか弊害にすらなり得る。
アファメーションが不安に意識を向けるトリガーになりかねないからね。
まあ、仮にそうなったとしても意識の主体性を思い出せばいいだけだが。
ただアファメーションを否定してるわけではないよ。
資産家の私の知人はアファメーションは無用と切り捨てているが、私はそうは思ってない。
意識の扱い方を既に習得してる人にとってはそうかもしれないが、そうでない人にとっては使い方を間違えなければ有益なツールだ。
表現にもあまりとらわれる必要はない。
断定系がいいだ、未来形がいいだと様々な意見があるが、要は言葉をたよりに叶う確信を手繰り寄せられるものなら何でもいい。
これを踏まえ、意識の扱い方を書いたものとして彼のエピソードを読み直せば、全く異なった重点を捉えることができるはず。
あと認識の変更については、何を持って認識の変更というのか私にはわからないのでなんともだが、上のレスにも書いた通り、意識の主体性に気づいたことは私にとっての大きな転換点だったということだけは言える。
また、現象化を早める云々についても、私の体験から話せることはない。
夢中で白いところに意識を向けていたら、気がつけば壺が見えていた。
北に意識を向けてとにかく歩み続けたら、いつの間にか目的地についていた。
それだけのことだった。

689 : 幸せな名無しさん :2017/06/07(水) 21:25:46 REq21w.U0
641だが長文失礼。

>>639さん
>よく、こうなったらいいなーってことを頭の中でTVドラマをみてるような感覚で

それもあなたの大切な願望で、目的地を定める立派な作業だよ。
ただ、

>これが北極星でないなら、いつまで経っても目的地に着くわけないですよね。

北極星を見上げるだけでなく、それに向けて歩みだす意志を持たなければ目的地にたどり着けないよ。
妄想でもイメージでもいいから、自分の在りたい姿が定まれば、それを実現した自分、実現する自分に意識を向け続けるということだ。

>>658さん
時間があれば借金を返し切った瞬間のイメージ、返し切って代理人と喜び合ってるイメージや安心感も味わったし、お金を自由に使える感覚や思考にも意識を向け続けたよ。
復縁に関しても、復縁する瞬間のイメージもその後うまくいっているイメージもした。

普段は「自分は彼女にふさわしい、いやそれ以上の男だ」「相手から復縁を懇願してくるんだろうな」などの感覚も意識していた。

「借金」「失恋」とかのマイナスイメージに意識が向いた時の弊害を心配されているのかもしれないが、まったく気にする必要はない。
在りたい姿に意識を向けるだけだ。

>>688さん
現実化のメカニズムについては私も思考をこねくり回して散々考えていたことはあるが、答えを得るのをとうにあきらめたよ。
どうせ死ぬまでわからないだろうから。
仮に目の前に神が現れて「意識は現実となる」と宣ったところで、それが真理である保証なんか誰にもできないし、信じるかはどうかは自分次第。
それとも、それを保証してくれる神以上の存在を探すのか。そんなことをしても無限反復。そもそも自分が幻覚だと思ってしまえばそれまでだ。達人と呼ばれる人たちの画面上の言葉はなおのこと。
真理は誰にもわからない。誰にも保証できない。
真理について思考するのは確かに楽しい営みではあるが、叶えたいことや自分の理想、そういったものがあるのなら、先にそれらに意識を向けてあげたらいいじゃないか。

というわけで、いったんこれで書き込みから離れさせてもらいます。
もともと意識の主体性を伝え、あなた方自身が願望にもっと意識を向けるきっかけになればという思いで書き込みだしたが、私の書き込みに意識を向け続けられたら本末転倒なのでね。
あと、ご覧の通りどうしても長文になってしまう性分なので、自分の生活に支障が出かねないということもあるが。

最後に一つだけ。

望む現実はあなたに気づかれるのをずっと待っている。
しっかりと体を向け愛の眼差しで見つめてあげよう。

お付き合いどうもありがとう。

【701式他】『なる』について語ろう!14 – 潜在意識ちゃんねる – したらば掲示板

なんか、去り際もかっこいい

意識の焦点

こちらの記事で書いたことだけど、

・自分の人生の主人公は「自分ではなく」、意識を注いでいる対象

・エゴは単に出てきたものでしかなく、出てきたものをどうにかしようとするのがおかしいんですよ。出てきたものに後から手を加えようとするんではなく、出てくる以前のところに行けばいいだけです。

この2つ。この2つの文章が、強烈に「意識の焦点」を自覚させてくれる。

エゴからのアプローチ

願望実現のための実践方法について、一度エゴからのアプローチ、でまとめたけど、

イメージングって、まさに「意識の焦点をあわせること」、そのものだ。

「ゼロになる」もわかる。

「在りたい姿」に意識を向けるのもいいなぁ、と最近思い始めた。

苦しさからの解放

このブログでも何度も書いてきたような、感情の苦しさ。体の不快感。

  • ネガティブには、「自分」がくっついている
  • 「ない」は思考でしかない。

とか、理屈を並べても、どうしようもなかった苦しみから、「意識は自由」が体感できたことによって、、やっと解放されている気がする。

「願望実現」そのものよりも、このエゴによる苦しさから解放されたこと自体が、何よりも嬉しかったりする。

というわけで、エゴからの解放については、別記事で書きました。

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