日常的に嬉しいことが起こる中で、もっと自分を大切にしたい気持ちがつよくなってきた。
理解ばっかり増えた所で何の役にも立ちゃしない!
そんなものより大切なのは自己重要度!これに尽きると行き着きました。
世界=自分、世界は自分が創っていると、頭の中でどれだけ理解してようと、
その自覚がなきゃ意味はない。
自分⋙現実、自分⋙お金、自分⋙他人、自分⋙片思いの相手……etc……。
これも一緒で理解してるだけじゃ無意味。
だって、頭では理解してるけど、現実に対して顔色窺ってませんか?
好きな人と結婚した自分、お金持ちの自分、
人間関係が充実してる自分等を意図しながら現実チラ見……してませんか?
よく聞く『現実は無視』の話に流れ着いちゃいましたけど(笑)
自分の意図よりも、現実の方が重要だと思ってるから現実無視ができないんですよ。
自己重要度が低いから、現実の顔色ばっか窺うかがう羽目になる。
で、ループ。
自己重要度が上がれば、現実よりも『今』の自分の気持ちが大切になってくる。
自分を大切にしようとすればするほど、現実がどうでも良くなってくる……
結果、現実無視ができているという流れなんですけど。
これも頭での理解と、自分に落としこめた場合とでは雲泥うんでいの差!
この世の何よりも大切な | とあるスピ廃人の色々
いくら大好きだからとはいえ、彼女に対して、自分の価値を下げている、ところがあったなぁ、とおもう。
深友にザックリ相談したら貴重なアドバイスをもらえたの。
『自分が外側(現実)に求めている物は、自分が自分に求めている物』だって。
ハッとした。
愛情も優しさも救いも、私は全部外側に求めてた……って。
助けて、気付いてってSOSに誰も気付いてくれなくて、自分が透明人間になったような気がしてた。
~略~
今の私は、どんな些細なことでもいいから自分の望むことをしてあげたい。
自分の心の小さな声に注意を払って、自分を愛で続けてあげたい。
どれだけぞんざい・・・・な扱いをしても、
一途に私を愛し続けてくれてた『本当の自分』にいっぱい愛を返してあげたい。
まるで遠い過去のよう | とあるスピ廃人の色々
体の中から、何か溶けたような・・・
これが本当の自愛か?
どういった願望であれ、その根底には自分を好きになりたいという思いが秘められています。望む世界にいる自分は、自分のことが好きな自分です。現実世界に働きかけてあくせくするより、先に自分のことを好きになれば、望むような世界が展開していきます。自分を好きになるのに条件はいりませんが、普段から自分に愛を向けているなんて人はあまりいないかと思いますので、慣れないうちは上述のように好きな人から愛される自分をイメージするのがいいかと思います。
芸能人との付き合い方指南・シーズン2ー④ ~自分が好き?~|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
次は、なんども引用しているこまけぇさんの記事だけど、これまであんまり気にならなかった、「赤字」の部分をすごく感じるようになった。
それで内面世界で叶っていたら「いつか」現実世界も追いついてくると書いてらっしゃいますが、確かにエゴ的にはそういった表現にならざるを得ないですが、スピ的には正確ではないです。そういったタイムラグはないんです。ある状態がある状態に移行するというタイムラグ(時間軸)はなくて、
選んだものが即世界になるというだけです。もっと正確な感覚で言えば、既にそれがあるから選べるという感じ。
コンビニの棚にチョコパンとジャムパンがあって、目を向けた瞬間にどちらもそれを買う世界を瞬時に想像(既にある)できますよね。そんな感じなんです。これに関しては今にあるとかをすればなんとなくわかってきます。
ですので現象化を期待するとはスピ的なあり方とは矛盾しますが、だったらそんな期待している自分さえもサクッと叶った世界の自分へ落とし込めば解決なんです。
一言で言えばまた自愛になっちゃうんですが、とにかく今のダメダメな自分でいいじゃんと許して上げることです。自分にスパルタである必要はないんです。自分を何かと責めてしまう習慣を止めるんです。存分に甘やかせばいいんです。
まあ、何か一つのアプローチで行き詰まれば他にやり方は無数にあるので、向き不向きもありますから、色々試してみてください。
その上で今を充実させるやり方で言えば、私自身はガチでやった結果、何度も書いていますが現実は気にならなくなりました。現実に支配されなくなるというか。意識せずとも自然に気にならなくなるんです。
内面を主と思い込ませたこともその理由の一つですが、やっぱり無条件で自分そのものを受け入れたからで、すなわち自分を好きになったからだと思うんですね。自分そのもの自体で「好き」とか「価値」が成立してるんで、現実に左右されなくなるといったところでしょうか。結局叶った自分ってのは自分のことを好きな状態ですから、自分を慈しむこともやはり疎かにしてはならないと思います。
ある状態からある状態に移行するというタイムラグはない|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
しかし、自愛はそうではありません。
思考や不足さえも肯定し、許して受け入れてしまうのです。思考と対峙するという図式そのものを消滅させるのです。自愛さんは実にダイナミックです。
「呟くのをサボってしまった…」なんぼでもサボったらええやん。「『今』に集中できなかった…」でも…それって素敵やん。「思考に飲み込まれてしまった…」飲み込まれたん? これで願い事叶うやん。
もうメチャクチャです。自愛とは言い換えれば「コミュ障メソッド」とも言えるかもしれません。エゴ(思考など)がいかに不足で討論を挑んでこようが、とにかく受け入れ、肯定していくので議論になりません。思考や不足でさえも肯定することで、逆に関連付けを消滅させ、エゴをいかに対処していくのかという潜在意識のテーマすらも破壊してしまう、恐るべきデストロイヤーなのです。
と、同時にいかに今の今まで自分が無意識に自分を責め続けていたのかを実感することができます。そして、その責めていた過去すらも肯定します。肯定とは完璧認定とも言えます。どんなに不完全でも不足まみれでも、「オーッケーイ!」と解説者・古田並みに、決してそれは間違えではなかったと受け入れ、肯定していくのです。続けていけば、無防備になります。メソッドやら不足やら潜在意識やら、そういった重い具足は既に周りに転がっているはずです。無防備とは何に対してかと言いますと、充足です。無防備ですから充足という熱風を肌で体感することができるのです。今のままで完璧だと、今のままで叶えていいんだと(叶っている)とわかります。いや、元々そうであったと。
デストロイヤー「自愛」さん!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!
断捨離したい!
いろんなことが現象化して嬉しい反面、思った以上に疲れてるんだなぁ・・と感じた先週末。自分の気力や体力的なところもちろん、時間もお金もそういった全部のリソース、エネルギーみたいのが枯渇している。
人もモノも時間もお金も、本当に大切な事だけにつかう・・・それが、もっと自分を大切にすることにつながるんだなぁと思ってます。