言葉を超えた領域

前回との対比的な記事ですが、要はこういうことだとおもったのですよ。自分にとっての「光」の集大成。

まさにこんな心境

あれもこれもしないといけないのかと迷った時期もあったけど、
今はただ’望む自分になって、その時に自然に湧いてきた感情を素直に味わう’それだけ。
なりきりとか、演技でこれをやるととても虚しいと思う。

でも、本当に望みが叶った自分になると、
心の底から喜びとか感謝とか安心感とかが溢れてきて胸がいっぱいになるんだ。
涙が出てくることもあるよ。

一日中24時間続けているわけじゃない。
気づいた時になって’幸せだな~’って浸ってるだけ。忘れてる時もある。
続けている間にもしかしたら望みとは違う現象が出てくることもあるかも。
自分もたまにあるよ。
でも無視して、それはそれ、でも自分の望みはこうなんだって、なる。

そのうち不思議な安心感が広がってきて、
意識してなるをしていなくても妙に落ち着いていられるようになる。


望みが叶った自分が当たり前になってきて、
そうしたら願望がいつの間にか超高速で自分の前に届いてる。

外を変えるというより、自分の認識そのものを変えたり、変えた認識を定着させる : Without the Mind

イメージング最強

イメージングって、潜在意識界隈では、なんかいかにも古典的な願望実現方法で、毎日の苦行を想像させたり、やってもむなしいとか、あんまりよくないイメージがついているような気がするけど、この業界で長いこと彷徨ってきた結論としては、これ以上ない最強の方法だと自分では思う。

イメージングというと、変にメソッドっぽく感じちゃうかもしれないけど、要は思考ではなく感覚を使うってこと。ストレートに「実像」をとらえる、体感する方法でもあるし。

あと、今回諸々迷走した中で、イメージングのもう一つの大きなメリットは「思考をスルー出来る」ところだと思った。「感じているときは思考することができない」ってやつね。

「思考」が分離感を生み出しているわけだけど、もっといえば「言葉」が分離を生み出している。だから、言葉を覚える前の自分になる。

そんなことを思っていたら、何度も引用している自己観察さんの最後のまとめ記事に書いてあった、「思考の内容はどうでもいい」って内容にはっとした。

言葉に意味なんかない。

自己観察は、思考を見張る為のものではありません。
思考の内容はどうでもいいんですよ。
どんなネガティブでどうしようもない思考だろうが全然かまわないんです。
なぜなら、思考自体には意味も力も何もないからです。

思考がどんなに不安を煽ってきたとしても、それは本来のあなた自身の
可能性を無理やり歪めただけの、何の意味もないものです。

~略~

すべてが既にここに在るのだから「私はそれを見る!」というのが意図です。
あるものを見るだけだから、これだけで充分なんですよ。

自己観察式90 もっと簡単に幸せになっていいんだ~と、その感覚を味わってみてください | ザ・チケット板☆備忘録

そして、この「意図」というのが、思考ではなく、「実現をいますぐ体感する」ってこと。吹けば飛ぶような「選ぶだけです」ではなく、「選んだことを感覚を通して確認する」、ということ。

実践すべき内容

過去記事振り返って、まぁ、もう、十分、やるべきことは書いてあったわけです。

こまけぇさんをまとめたのが、下記の記事。

無名だけれど自分にささったコメントのまとめ

登山家さんの記事も好き

個人的に最強の自愛

ただ、やっぱりイメージングだけでうまくいかなかったのも事実で。というより、イメージングが全くできなくなるようなエゴの大暴れに飲み込まれることが多々あったからで、いったんそういうエゴ塗れで苦しんでしまうと、じゃあそのエゴの対処法は・・ということになり、結果的に、エゴとのエンドレスな戦いに飲み込まれていた。

結論、いまの自分にとって、エゴの暴走を抑えるには、「風船自愛」

これも「言葉を使わない」「体感する」という点が共通してる。自愛についても、いろいろ引用して書いてきたけど、個人的にはほんと、これしかない。

これでもダメなときは、ほっとくしかない、というあきらめ。数日巻き込まれてどん底だったとしても、時間が解決してくれる。

まとめ

言葉を超えた話を、言葉で説明しようとしているんだから、そりゃ難しい。どんなに言葉を尽くしても、各人の感覚が違うのだから、どう受け取られるかも各人次第。だから、わからない。わからないから、思考で解釈しようとする。

そして、いったん言葉(≒思考)が走り出すと、AIの自動生成のように次から次へと意味のない文章が生成され、最終的に「不足」までたどり着く。

そして、不足の結論は、「今の自分じゃだめだ」だ。そして、メソッド探しの旅が始まり、ダメな自分が無限ループ。

だから、やっぱり、言葉にまどわされることなく、「言葉を超えた領域」で「直接的に幸せを感じる」ことがすべてだと思ったわけです。

まーちょっと、心機一転、実践をつづけます。

コメント

  1. くろ より:

    タイムリーな記事でした

    既にあるものを見る、選ぶ、受け取る

    まさにそんな心境です

    常に全ては変わっているし、不確かで曖昧なんですよね

    全てあるんだから、好きなものを選べば、見ればいいだけなんだなって思いました

    量子論もおすすめです

    • tonpei より:

      >くろさん

      タイムリーでしたらよかったです^^
      人は「見たいものを見てるだけ」なんて、言われたりしますしね。自分の場合は、「感じたいことを感じる」ですね。くろさんもいい感じで現象化していったらいいなと思っています

      あと、くろさんにコメントいただいた「常に全ては変わっているし、不確かで曖昧なんですよね」というのも、ネガティブに引っ張られずに現実をスルーする上で大事なポイントだと思いました。
      そして何より「量子論」に、「はっ・・」とするところがあり、また何かがつながった気がします。次回あたり記事にしたいと思います。
      ありがとうございました!

      • ぽっぽ より:

        こんばんは、初めてコメントさせてもらいます。
        ここ1,2ヶ月ほど楽しくブログを見させてもらってます。

        エゴの取り扱いに苦労されているみたいなので、私なりの考えを書かせていただきます。違うな、と思えばスルーしてください。

        以前の記事でエゴを消そうとしていたり、エゴの暴走を抑えるには、、、と書かれていますが、自愛されてますか?エゴにも愛を送っていますか?抑えよう、消そうとすればするほど自分の中でエゴの存在が確固たるものになって大きくなって暴れ出すのではないでしょうか?二元論というやつですかね。

        108さんのザ・チケットを読んでると思いますが、1章終盤に書いてあるエゴに対する考え方、74ページ『エゴには実現する力はない』、110ページ『戦うのではなく、愛を持って認めてあげてください』111ページ『別の領域からの体験が増えるに従って、エゴの影響力はどんどん薄れていきます』この辺が参考になるのではないでしょうか。あと2章終盤の『エゴを超越する』
        自分はエゴに飲まれて不安、ネガティブになった時には、7章231ページ『例え私の内面や外面がどうあろうと、私は幸せであって構わない』この文を繰り返しアファして落ち着かせています。

        あとyoutubeになりますが、 Akane Astologerさんの動画で、『5分30秒後にエゴ思考くん(全部ウソ)を抱くゴリラ(あなた)』クスッと笑えてこんな軽い感じでエゴを対処いいんだ!と私は思えました。

        達人まとめブログなどを見てると、認識変更が進んでもエゴは消えないが声が小さくなる、不足を持ってこなくなり逆にエゴが進んで充足を見つけてくる、と言う人が多いのではないでしょうか。

        エゴがあるからこそ喜怒哀楽といった感情が感じられるのではないでしょうか。エゴが無ければただ出来事があるだけ。良いも悪いも無い、好きも嫌いも無い、やりたいやりたくないも無い。願望もない。感情、思考の起伏も無くただ流れているだけ。
        エゴも自分の一部、自分の中のごくごく限られた一部。

        とっ散らかったコメントになって分かりづらいかもですが、少しでも伝わればなぁと思い書かせていただきました。

        • tonpei より:

          >ぽっぽさん

          はじめまして!コメントありがとうございます。

          「自愛道」のくせに、「自愛」すると、ますますエゴが増長するようで手に負えない、というのが、私のエゴでして笑、自愛はもちろん、ありとあらゆるエゴ対策法を試してきたつもりですが、「エゴに対して何かアクションしよう」という時点で、負けが決定しているようです。
          特に「思考(言葉)を使う」自愛は、エゴに反撃されて全滅です。エゴの全国大会でも上位入賞できそうなぐらいの、ほんとうにすさまじく最強なエゴだという自信があります。

          そんな中で、唯一といっていいほど自分に効果があったのが、この記事にも書いた「風船自愛」だったのですが、人によって効果のあるアプローチが違うんだな、と改めて感じました。

          エゴ対策記事の印象が強かったかもしれませんが、かといって、「どんな自分でもいいよ」とやっている時って、自分の場合、ピクリとも現実が動かないんですよね。。逆に、エゴが絶叫して大暴れしていても、びっくりするような展開になったこともあるし、じゃあそのトリガーはなんなんだ?、というのが、最近書いているテーマだったりします。

          大なり小なり「エゴが喜ぶ現実を創る」のが、何より、エゴがおとなしくなる特効薬なので、ひたすら願望実現に邁進するのがよいかな、と思っている今日この頃です。

          • ぽっぽ より:

            >>tonpeiさん

            返信ありがとうございます。合う合わないってありますよね。なので少しでも役に立てばと思い、角度の違う事をちょこちょこ書いてたらとっ散らかったコメントになった次第です(汗

            エゴが大爆発しても現実が動いているのは、エゴを受け入れてる、許容している、もしくは諦めの境地とかですかね。

            とにかく外に依存すること無く自分を満たせるようになるといいですね。

  2. tonpei より:

    >ぽっぽさん
     引き続きありがとうございます。
    ぽっぽさんのコメント、とっ散らかっているとは思いませんでしたし、自分の考えを振り返るきっかけにもなり、参考になりましたよ。ぽっぽさんが自愛で願望実現できているなら、すばらしいことだと思います。

    プライベートをすべてさらすわけではないのであれなんですが、実際にここ数週間で自分の外界のあらゆる状況が好転してきたので、やっぱり自分はこの感覚でよいんだよなぁ、へんによそ見をしてたから、この数か月停滞してただけなんだな、と思っております。
    外界の反応を気にせず、自分の感覚を信じる、ということが、自分を満たすことにつながっているんでしょうね

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